1st Ticket

Not for theatergoers

私は好き。すなわち、私はそっちに偏る。

「あの人の趣味は偏っている」という話が今日テーブルで出て、

(偏ってない趣味なんて、あるだろうか?)とふと思った。

 

考えてみたが、やっぱり、
すべての趣味は偏りである。
だから誰かの趣味が、他人より偏っているということはなさそうだ。

 

 

思い浮かべたのは世界地図で、
日本はヨーロッパよりも東にあるが、別の地図では西にある。
確かなのは、日本がヨーロッパより東か西かではなく、
少し遠いということ。
でも日本と南米ほどではないし、そしてヨーロッパからすると南米のほうが近い。

 

私から見て偏っているあの人、から見ると、私は偏っているし、
そうではない別の人、から見ると、私もあの人も偏っているし、
・・・というのを続けると、つまり全体から見た圧倒的な偏り、なんてない、と思える。
もしくは、「私がここに立っているから、全ての人は私から少し遠い」。
だから私は他人と同じく、圧倒的な偏り。


しかも人の好き嫌いや価値観なんて、
2次元や3次元でマッピングできるようなものではない。

赤か青なら、赤派
×
山か海なら、山派
×
春か秋なら、春派
×
右か左なら、左派
×
静かか賑やかなら、賑やか派
×
コーヒーか紅茶なら、紅茶派
×
仕事か恋愛なら、仕事派
×



の掛け合わせが無限に続いた高次元の世界に、趣味、というか「好き」のポイントはある気がする。

そしてミスチルが好きだったり村上春樹が好きだったりゴッホが好きだったりして、
ときどきある角度から近い人数がすごく多かったりするかもしれないけど、
それは趣味の偏りがない、ってことではないし、
やっぱり、全く同じ「好き」のポイントに立つことはできないと思う。
その人はその人だけの好きの方向に、向かってはいる。


「あの人は偏っている」と思うことは、
自分がその逆側の遠いところにいるのを知ること…
自分の偏りに気づくチャンスなのかもしれない。