鳥公園「緑子の部屋」/誰も、誰かのすべてを知らない
もし私がいなくなって、なぜか兄と元彼と中高の友達が集まってしまったら、こんな風に「あいつってそういうとこありましたよね」なんて話をして、わかったりわからなかったりするのかなあ(でもきっとそんなことはないだろうなあ)と、思いました。
今まで言われたことのある「あなたってそういうとこあるよね」を思い出しても、やっぱりどれも違うことを言っていたし。違和感の強い、ほとんど真逆みたいな言葉も覚えている。
そして私はいないんだから、もはやそのもやもやは本人のものではなくて。
残された人の中に、あったことや、あるかもしれなかったことが、ごっちゃになって、ほとんどの細かいことは忘れていて、
たぶん人ひとりのことをまじめに全て思い出したり知ったりするのは複雑すぎるから、
結局ほとんどのことは、見てみないふりになってしまって、それを人は悲しいと思うんだなあと、思います。
最近ようやく「現代口語演劇」風な作品が、自分の同世代の言葉として聴こえるようになってきたなぁ…
舞台開いた瞬間は、ハイバイ「霊感少女ヒドミ」を思い出した。
背面パネル全面のマッピング。
ハイバイ「霊感少女ヒドミ」
(C)曵野若菜
あと中央垂れている室内のシーリングライト、
になんだか既視感が。
途中から出て来るベッドには今春見たキムラ企画での、既視感が。
こういう「ワンルームもの」のビジュアル的なアソビは
なんか更新が滞っているな…と感じます。
知ってるようで知らない、ありそうでありえないワンルームが観たい。