1st Ticket

Not for theatergoers

甥のこと②

甥が6ヶ月の時。
兄家族と私と母で、私の祖父母、つまり甥にとってはひいおじいちゃん・ひいおばあちゃんに会いに行った。
ふたりとも90代にしてとても元気に二人暮らししている。
 
しかし祖父のほうが目と耳が悪くなってきて、
「みんなが何を話しているかついていけないから、私のことは無視していいよ」という。
謙虚というか自虐的というか、一回り小さくなったように控えめになっていた。
 
祖母のほうは、20年前からほぼ変わらない。
甥もすすんで抱っこするし、母や兄嫁とも子育て話に花が咲く。
甥は人見知りしないし、誰が近づいてもよく笑う赤ちゃんだった。
そんな様子にときめいたのか、祖父も「この子なら抱けるかな」と甥を抱っこした。
すると、祖父の目がきらきらと輝きを増したのがわかった。
赤ちゃんの目もきらきらしている。そのきらきらが祖父にうつったのである。
 
その後、祖父が戦時中の思い出を語りだした。
これまで全く聞いたことがなかった。
1945年、祖父は20代の青年で、神奈川で歩兵の訓練を受けて、
地元九州の武器工場で働くため西に向かった8月。
大阪の空襲で友人を亡くし、広島を8月5日に通りすぎた。
自分が希望どおり地元に配属されたのは、学生時代に成績優秀だったことと
訓練中、早朝の乾布摩擦をサボらずまじめにこなして上官から気に入られていたため。
まじめに訓練しなかったからか、地元から遠い大阪に配属されてしまった友人は、亡くなった。
「生き残るために一番大事なのは、人に嫌われないってことなんですよ」と言った。
「だからその後おばあちゃんにも出会えたし」と。
それからは祖母の家に会いにいったことなど、のろけまで話してくれた。
 
赤ちゃんを抱いて、親になった頃の自分を思い出したのだろうか。
鮮明に当時の状況を語る祖父からは、目や耳の衰えも感じられなくなった。
 
 
産まれて1年もたたない、言葉も、目の前の人間が誰かもわからない赤ちゃんが、おとなたちをどんどん変えていった。
私にはその、生命力、純粋な生命力のかたまりのような存在が、
その子にふれる大人たちの、無意識の下にあった、生きる力、あるいは原始的な愛情のようなものを呼び覚まし丸裸にしていくようすに感動した。驚異だった。
 
それから私はようやく、甥に、一人の人間として興味を持つようになった。