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青年団+第12演劇言語スタジオ「新・冒険王」/答えに意味はない

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こちらの写真は2008年の「冒険王」。(撮影:青木司)

 

青年団+第12演劇言語スタジオ「新・冒険王」 観てきました。

イスタンブールの安宿、

2002年6月18日、

日韓のバックパッカーはワールドカップに夢中。

日本は既にトルコに敗北し、韓国はイタリアとベスト8を争っている。

 

 

 

これまで出会ったフィクションの中で一番、自分ゴトな作品だった。

 

2002年の日韓W杯は、当時15才の自分にとってもある転機だった。
あの時の日本中の熱狂と、ほどほどに盛り上がる家族を見て私は、自分が日本(人)にも韓国(人)にも特別な仲間意識がない、と気づいたんだった。
あれから、オリンピックやW杯はほとんど見てないしどの選手も特別応援しないことにしている。

 

平田オリザさんの戯曲は、国や民族に対するそれぞれの無知と感覚のズレを、精緻に描きすぎている。
サッカーに負けて落ち込む日本人、さっきまで応援していた日本代表をけなす日本人、
嬉しくて泣く韓国人、韓国のサッカーよりも日本のマンガが好きな韓国人、どっちにも好かれるけど味方もできない在日韓国人


「韓国にとって、日本と北朝鮮では、どちらが仲間なのか」

「アメリカと日本では、どちらが仲間なのか」

「トルコと日本では、どちらが仲間なのか」

「どうしてそんなことにこだわるのか」

「なぜ応援しないのか」

「なぜ応援するのか」

「どうして日本人はすぐ忘れるのか」

「あんなに大人しいのになぜあんな残酷なことができるのか」

「韓国の男はなんでああなのか」

 

そんなことは、誰も知らないはずだ。

 

それぞれに違った回答。回答できないから拒否する。回答されても納得しない質問者。
本当に、国や民族の話になると、そんなことばかりで、
誰も、どんなに知識があったり愛情がある人だって、すべての歴史や感情を理解して、正確なたった一つの答えを持っている人なんていないし、そんなことはわかっているはずなのに、かるーく会話の中で質問してしまうのは、なんなんだろう。

 

私は、こういう質問の中にいるのにずっと疲れていたし、これから質問されるのも嫌だったし、ないとわかっているけど私なりの答えがほしかったんだ、と気づいたら、涙が出た。


劇中人物・ソヨンが、何も言わずに韓国人が熱狂するあの宿を出ていったのが、自分と重なった。
私もあの時、2002年に日本人宿を出ていったつもりだったと思う。

けど、無関係でいたくても、国籍やら民族観やらは一生あと何十回かかるく話題になるわけで、オリンピックは盛り上がり続けるわけで、世界中で日本人とも韓国人とも中国人ともアメリカ人とも出会うわけで。
どこに行こうと、だれかの国民感情と接触しないでいられる社会なんてない。

 

だから、劇中人物・植木のようでありたいし、今の自分は彼に近い気もする。


寝たいときは寝る。知らないことは知らない。

知りたいことは知ろうとする。友達になりたければなる。

今自分にとって興味のあること、相手に興味があるとしたら、それは誰にとっても正しい回答ではないけど、間違いのない、本当に起きている、意味のあることだ。


あと、「言葉が通じない」というのは全世界全世代に通じる、

人類共通のコメディなんだなと。

3か国語がいりまじって会話が通じない状況がすでにおかしい。日本語どうしだって、だいたいのことは通じてないんだから、笑える。


私たちは、理解しあおうとして、理解しあえてないけど、だからおもしろいし、何度でも会話してしまう。回答に意味がなくても、

意味のない質問の応酬に、
ただ耐え続け、色んな回答を得ることには、少しは意味があったし、これからもあるかもしれないと、やっと思えた。

 

 

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