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1st Ticket

Not for theatergoers

残酷表現・性描写をナマで観ること

※これまで見た作品の残酷表現について一部触れていますのでご注意下さい。


舞台ってR指定がなくてもグロかったりエロかったりすることが、ものすごくある。
私は15才~18才まで大阪&神戸で、18才以降は東京で観劇するようになったので、上京直後はもう、なんで東京の芝居は何を見ても血が出たりエッチしたりするんだろう、とげんなりしたのを覚えている。
(性描写については、たぶんポツドール『恋の渦』などが評価された時期で、私がワセダ界隈にいたせいなのだが)

笑えない=面白くない、な関西文化で育ったこともあり、死もエッチもシリアスに、なんのデフォルメもなく見せられると「え、それ寒いで、イタイで?」とぽかんとしてしまうのは18才関西女子の一般的な反応だったのではないかと思う。

しかしあまりにも多いのですぐに慣れた。
そういえば、私は学生時代に2公演で出演したが、その2本だけで堕胎と事故死と銃殺されてる。どんだけ死ぬねん。自分がかかわった8公演で死んだり殺したりした登場人物を数えたら、平和に生き残った人物よりぜったい多いと思う。

 

いや「死」や「性」を扱うことが多いのはどんな創作でもありうると思うのだが、演劇で、この数十メートルもない距離 で、そのシーンを見ることって、一体何を起こすのか、それは効果的なのかジャマなのか?

特に「死」「血」は、舞台で見る最大のウソである。確実にウソだ。だから醒めるのかもしれない。

 

これまで本当にたくさん、舞台上で人が死ぬシーンを観てきた。
斬られた首が落ちたり首を吊ったり、電気イスに座ったり、あと切り落とした手首の指がぴくぴくしているというギミックのあるものや、猟奇的な医者が猫の心臓をとりだす手術やら。

でも、ぜったいありえないから、ウソだから、観ても許されるし、観てそのシーンが「良かった」とか「悪かった」とか言える自由があるのかもしれない。

 

マーティン・マクドナーの『ビューティー・クイーン・オブ・リナーン』という戯曲を大学の授業で読み合わせしたことがある。
アイルランドの片田舎、中年の娘と老いた母親が憎みあっていがみあって、でも二人ともどこにも脱出できないでいる。そしてとうとう娘が母親を殺す。これまで読んだ中でもかなりエグさ上位の戯曲だ。
これを一緒に読んだある友人が、数年後に再会した時に、実はあれを読んで「あ、こういう感情があってもいいんだ」とほっとした、というようなことを言っていた。
あの作品はたぶん、殺意を奨励しているわけでも、告発しているわけでもなかった。
ただ殺意や自殺願望があって、死や残酷なしうちが世の中にあること、そしてそれを人は「想像しうる=やりかねない」ことを明らかにしているには違いない。
それについて何かを感じたり考えたり、気持ちよがったり気持悪がったりする機会をつくる、そこに意味があるのかもしれない。


でもやはり、本当に見ていて怖かった表現には、血(のり)が出ないもののほうが多い。
たぶん初めて客席で吐き気をもよおしたのが、「接着剤で目と耳をふさいで、さらに飲みこんで自殺しようとした人がしゃべる」シーン。PARCO『クレイジー・ハニー』のリリー・フランキーさんだ、あれは凄かった、思い出すだけで胃が重い…。
そんな状態になった人間を見たことはないしこれからもないだろうが、もしああなったら、ああいう声が出るかもしれない、と想像してしまった。
あとNODA・MAP『THE BEE』の、鉛筆を少年の指に見立てて折っていくシーンも。身震いした。
一番怖いのは、たぶん残酷な描写のそのもの、血の赤さや骨の白さではなくて、「痛み」や「苦しみ」、あくまでそこからの自分の想像の産物のほうなのだ。

なので直接的な表現はむしろ想像の余地がカットされるし、比喩的な見せ方のほうが効果的にショックなので好みですね、私は。