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2023までのこと③祖父の死と自伝

休業中、祖父がかつて書いた自伝をデータ入力するという作業を手伝っていた。


80~90歳代にワープロで書かれ、出力された紙に、祖母からの「赤字」が入っている。
それを印刷会社に渡して出版するために、Wordで入力してデータ状態に戻すという作業だ。約200ページ。

 

祖父は1922年(大正11年)生まれ、終戦の1945は23歳。青春と戦争がともにあった人だ。
実に160ページ強が、少年期から20代までの出来事である。
嫌いだった同僚の出身高校まで書かれている。そんなことを80歳になってまで覚えてなくてもよかろうに。(祖父は亡くなる直前まで、目・耳・手足の衰えはあったが、頭は冴えわたっていたのである)
いっぽうで妻(私の祖母)や子ども(私の母など)のことはほとんど書かれていない。
自分の人生というよりも、あの時代を後世に残したいという思いが強かったのだろうか。

恨み節の多い祖父の言葉に対して、祖母が大胆な添削を入れている。ネガティブな表現をまるごとカットし、マイルドに言い換えている。内気な祖父と朗らかな祖母の関係性が見えて面白い。
触発されて祖母も自伝を書いたそうで、そちらも楽しみである。

 

自伝出版の段取りが着いた頃に、祖父は亡くなった。101歳の大往生だ。
福岡へ駆けつけ、葬式の準備を手伝った。
故人101歳なので、子どもたちも60~70代だ。孫なしで全ての準備を担うのは大変な労力である。遠方からすぐに集まることも難しい。

 

私が新社会人になった頃、「なかなか会いに行けなくてごめんね。余裕がなくて」と言った私に
「余裕ってのはね、自分でつくるもんです」
と言ったおじいちゃん。
今もまだまだな私だが、じいちゃんの葬式を手伝うくらいの余裕はどうにかつくれたのだ。
自伝は無事製本され、四十九日に親族に配布された。