1st Ticket

Not for theatergoers

甥のこと③

甥自身の成長もまた、驚異的だった。
友達や親戚の子どもが1年ぶりに会ったら大きくなっている、ことはよくあるが
0歳から2、3か月おきに訪問すると、まさしくお猿さんからホモサピエンスの進化を早送り再生するようだ。

ひとり座り、ハイハイができるようになって、自分でおもちゃを探せるようになると、道具に対する好奇心が高まる。
うきわの空気入れ(注射器のかたち)をプシュプシュとピストンした時にはびっくりした。人間は産まれて1年で空気を入れられるのか!と。
立って、二足歩行できるようになり、さらに行動範囲が広がる。
声が使えるようになり、ものや人の名前を覚えて呼ぶようになる。
甥はかなり社交的なタイプ。
あーあー言っている頃から色んな人に話しかけていたし、
ベビーカーで散歩していると、すれちがう人に手を振って笑顔をふりまいた。
1歳半くらいで、近所の小学生についていって遊んでいた。(母親もついてるが)

生理的欲求→好奇心→コミュニケーション欲求
その次に生まれるのが、思いやりなのだと知った。

私の友達とその息子くん(6か月)を連れて遊びに行った時である。
甥は1歳10か月。単語を覚えはじめて、星野源が流れると「げんげん!」と言って踊りだすくらいの時。
友達の息子くんが泣き出した。
すると、甥がその赤ちゃんに近寄って、おなかのあたりをさすりながら、「大丈夫?」と言った。
聞くと、第2子を妊娠してつわりに苦しんでいた兄嫁の背中もさすってくれたという。
 
他人が苦しんでいることがわかり、それをいたわることができるようになったのだ。
『良心』とは、かくも産まれたての頃から人間に備わっているものだったのかと。
 
いっぽうで、その数か月後には、『悪意』も備わっていることを知った。
 
イヤイヤ期の2歳突入である。
食べたいものをダメと言われたり、イヤと言ったのに歯磨きされたりすると、泣くだけでなく、両親を叩きはじめた。
彼の両親は言葉で𠮟る人たちなのに。暴力とは、教わらずとも使えるものらしい。
 
産まれたばかりの彼の妹(姪)が、母親からおっぱいをもらっていると、なんと妹の頭を叩いた。
さすがに私も𠮟った。むきだしの悪意は大人の頭では予測がつかない。
 
そしてその1か月ほど後。
兄が「妹(姪)が泣いてるよ、どうするの?」と言うと、
甥が近寄って、妹をさすって「大丈夫?」と言った。
しかしそれは彼が数か月前に他人の赤ちゃんに言っていたよりも、葛藤の末の言葉に見えた。
彼の生涯2年の中で、これほど誰かに嫉妬し、またその嫉妬をおさえて、思いやりを示すという経験はなかっただろう…。
 
それはもちろん、叩いてばかりでは両親に受け入れられないとわかったからだ。
誰かに大事にされたい、好かれていたいという欲求が、彼をこれからますます大人に似せていくのだろう。
衝動をおさえ、人に気に入られる、仲良くすることを大事にする。これこそ人間性かもしれない。
もう30年も続けて慣れてしまった人間には、それなしでは生き方がわからないほどだが。
つらいこともあるがそれなりのよろこびもある、人間社会へようこそ。
社交的な甥のこと、楽しみながら渡っていけることを願う。