1st Ticket

Not for theatergoers

「バケモノの子」と、「『バケモノの子』展」

 

渋谷で働いてるわけで、

「バケモノの子」を見てきました。

(ちゃんとTOHOシネマズ渋谷でね!)

 

おもしろかったよーー!

ていうかキャスティング!!キャスティングがナイスすぎてウケるレベル!!
この声誰だっけ絶対聞いたことある誰だっけと思ってたら長塚圭史さんだしよ!!w
役者として強い人多すぎる。みんな顔が浮かぶw


そして安定の宮野真守さんがぜんぶ持ってくよ…!!

やっぱり声優さんは、声と呼吸にこめる演技・キャラクター表現の燃費がすごい。

「あ」にも「ち」にもムダがない。全音に表現が凝縮されてる。

一郎彦の出番・セリフの少なさに比べてこの圧倒的な存在感よ…

 

そして私の感想としては、

「楓は相棒役で、ヒロインは一郎彦である」

 

楓は同い年の男子高校生でもよかったんじゃないかなーと。

(そのほうがもう一つの世界・人生の対比がわかりやすい)

ヒロインが必要だから置いてあるという感じで、

九太への影響も、恋愛担当としても物足りないな。

 

で、ヒロインの役割を考えた時に・・・

 

【ヒーロー】

・強い(強くなる)

・敵と戦う

・ヒロインを救う

 

【ヒロイン】

・色っぽい

・恋愛ドラマの中心

・ヒーローに助けられる(ときどき助ける)

 

というのが本質で、つまるところの存在意義なんじゃないかと思ったんです。

 

だからある意味、九太も悲劇のヒロイン系ヒーローだし

熊徹(ヒーロー)→→ 九太(ヒロイン/ヒーロー)→→ 一郎彦(ヒロイン)

            ↑ 楓(ヒーロー?)

みたいな図式。

うーん…だから、楓が意味ある存在になるためには…

もっとエロいか、熊徹なみに九太を救うか、一郎彦なみに九太に救われないと…。

 

 

 

渋谷の街をロケで撮ったみたいな演出も迫力あって楽しかった。

 

で、渋谷ヒカリエ9階のヒカリエホールではこちら↓

 

『バケモノの子』展、8月30日まで開催中。


展覧会のほうには「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」の展示も。
ふだんのフラットなヒカリエホールとはがらっと雰囲気変わって、お祭りです。
夏休み、山とか海とか行けなくてもとりあえず渋谷に行っちゃって!

 

追記:ここだけの話。

同時に同じ階では「ふるさとのねこ展」という岩合光昭先生の写真展をやっております。

ヒカリエホールの9階、ホールAとBの間の通路は、

ふだんからBGMはかかっておらず、また共有動線なのでイベント関連のBGMもあまり流さないようにしているのですが、

今回はヒカリエホールを運営しているシアターワークショップのある社員さんが作曲したBGMをかけています。

その名も「ねこのサマー“バケ”ーション」(笑)

そう思って聴いてみると、たしかにねこっぽいような、バケモノっぽいような、絶妙な世界観の曲なんです…!ぜひ聴いてみてください。

演劇最強論-ing

演劇ジャーナリストの徳永京子さん&藤原ちからさん×ローソンチケットでこんなサイトができました。

(以下、『舞台制作PLUS+』制作ニュースより抜粋)

同サイトは、徳永・藤原両氏と「小劇場を応援したい」というローソンチケットのバックアップのもと企画された。徳永氏は「もし『演劇最強論2』を出すなら、前作では充分に触れられなかった中堅とベテラン、そしてさらに若い劇団や、東京以外の地域についても採り上げたいという私と藤原さんの願いが、とてもありがたいことにこういう形になった」と説明している。

サイトでは、劇団・アーティストを独自の基準により4つに色分けして紹介。また徳永氏、藤原氏による連載コーナーでは、国内外に散らばる演劇現場の最前線で活躍する人たちと、藤原氏が対話を重ねるシリーズ『新・演劇放浪記』や、この1ヶ月に観るべき・観たい作品を両氏が選び紹介する『ひとつだけ』、前月に観た舞台から特に印象的だったものをピックアップし、両氏の対談により振り返る『マンスリー・プレイバック』など、読み応えあるラインナップとなっている。

藤原氏は、「これは発想を新たにするチャンス」とし、「まずは地を這うようにあちこちをさまよい、『今・どこで・何が起きているのか?』をひとつひとつ探ってみたい。時間と体力とお金の許すかぎり、全国各地を行脚して、いろんな人に会ってみたいと思っている」と語っている。

 

いいですね!

特に『ひとつだけ』のコーナーがいい。

 

あと劇団の一覧とか。私がほしかったサイトにわりと近いものができてよかったです。

 

ただ私が本当にほしい超・初心者向けではないかな。

まったく予備知識がなくてもワクワクできるようなコンテンツがあるといいですねー。

 

 

演劇最強論

演劇最強論

 

 

FUJIROCK2015

苗場に行ってきたのよ。

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朝は天国 (さわやかに山を感じる)

昼は極楽 (熱すぎてウケル)

午後は地獄(暑すぎて朦朧)

夕方は堕落(動く気力なくなる)

夜は昇天 (フラつきながら跳んでる)

 

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何がおどろいたって、

月曜1時半に苗場バス発→朝5時に新宿着→8時半に出勤、

した私を、上司同僚が「もうしんどいだろうから早く帰っていいよ!」と

おおいにいたわってくれたことである。みんなフジロックの味方。むしろ勇者扱いw

 

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友達が『一生に一度は行きたいと思って機会をのがしてるから、いっそ40までフジロックデビューとっとく』って言ってたんだけど、

ちょっと、ソレは、オススメしないな!!

腰とか、大丈夫なうちに、行っとけフジロック!!w

tagiruka「標本は重力を持ち得るか」

tagirukaという画家さんがお気に入り。

20日まで吉祥寺のアートギャラリー絵具箱で個展やってますのでお近くの方はぜひ。

 

「空に巣掻く」

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「旅殻」

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「熟れた果実は地に落ちて」

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色合いや、空間の延びの感じ、空気遠近のふわもやっとしたところが好みで、

昨年渋谷のカフェで展示されているのを見てから追っかけています。

ああ、私はピンクの混じった青が好きなんだなとか、

建築の放射線が好きなんだなとか、

見ながら自分の好みに気づく感覚、ストライク。

 

『擬建築』を描いているそうで、その考え方もおもしろい。

(以下ご本人ブログより抜粋↓)

 

私が描こうとしていているのは「建築」であり「建築のある風景」を描いているわけではありません。
別の言い方をすれば「擬建築画」と言えるかもしれません。
擬建築とは私の造語で、擬人という比喩的な表現を建築を媒体として行う事を指します。
特に建築というものに人間性を強く感じており、描かれた建築群の向こう側には人の姿が投影されています。
欲望は塔を高くし、均質な空間は秩序をもたらし、己を守ろうと壁で隔たりをつくる、
そんな様々な人間の感情や欲望、心の機微を無機的な建築という器に写し取るような表現手法です。

「抽象画」「建築物を描いた絵」「心象風景」「建築をモチーフとした作品」など
様々な言い方で自分の絵を説明してきましたが、
もっとも端的に説明することが出来る言葉がないものかと考えて来ましたが、
「擬建築画」という言葉が今の所しっくりときています。

今現在、あらゆる建築形態の言語化、意味付けが出来ているわけではなく、
単純化することで明快に表現することを心掛けています。
絵の主題に合わせて意図的にコントロールしている部分を少し列挙してみましょう。

・ 垂直方向への展開、水平方向への展開
・ 面的な壁や床、線的な柱や梁、
・ 彩度やコントラスト
・ 視点の高さ、俯瞰や見上げの構図
・ 有形か無形か
・ 複雑か単純か

上記を主題に対して構成し描いています。

 

***

 

言われてみれば…そんな気もする…

感情とか概念とかふわもやっとしたものを、

人の表情とか言語的に解読できる表象じゃなくて、

気持ちや意味を持たない無機物質で表現できるなんて、おもしろいな。

 

青年団+第12演劇言語スタジオ「新・冒険王」/答えに意味はない

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こちらの写真は2008年の「冒険王」。(撮影:青木司)

 

青年団+第12演劇言語スタジオ「新・冒険王」 観てきました。

イスタンブールの安宿、

2002年6月18日、

日韓のバックパッカーはワールドカップに夢中。

日本は既にトルコに敗北し、韓国はイタリアとベスト8を争っている。

 

 

 

これまで出会ったフィクションの中で一番、自分ゴトな作品だった。

 

2002年の日韓W杯は、当時15才の自分にとってもある転機だった。
あの時の日本中の熱狂と、ほどほどに盛り上がる家族を見て私は、自分が日本(人)にも韓国(人)にも特別な仲間意識がない、と気づいたんだった。
あれから、オリンピックやW杯はほとんど見てないしどの選手も特別応援しないことにしている。

 

平田オリザさんの戯曲は、国や民族に対するそれぞれの無知と感覚のズレを、精緻に描きすぎている。
サッカーに負けて落ち込む日本人、さっきまで応援していた日本代表をけなす日本人、
嬉しくて泣く韓国人、韓国のサッカーよりも日本のマンガが好きな韓国人、どっちにも好かれるけど味方もできない在日韓国人


「韓国にとって、日本と北朝鮮では、どちらが仲間なのか」

「アメリカと日本では、どちらが仲間なのか」

「トルコと日本では、どちらが仲間なのか」

「どうしてそんなことにこだわるのか」

「なぜ応援しないのか」

「なぜ応援するのか」

「どうして日本人はすぐ忘れるのか」

「あんなに大人しいのになぜあんな残酷なことができるのか」

「韓国の男はなんでああなのか」

 

そんなことは、誰も知らないはずだ。

 

それぞれに違った回答。回答できないから拒否する。回答されても納得しない質問者。
本当に、国や民族の話になると、そんなことばかりで、
誰も、どんなに知識があったり愛情がある人だって、すべての歴史や感情を理解して、正確なたった一つの答えを持っている人なんていないし、そんなことはわかっているはずなのに、かるーく会話の中で質問してしまうのは、なんなんだろう。

 

私は、こういう質問の中にいるのにずっと疲れていたし、これから質問されるのも嫌だったし、ないとわかっているけど私なりの答えがほしかったんだ、と気づいたら、涙が出た。


劇中人物・ソヨンが、何も言わずに韓国人が熱狂するあの宿を出ていったのが、自分と重なった。
私もあの時、2002年に日本人宿を出ていったつもりだったと思う。

けど、無関係でいたくても、国籍やら民族観やらは一生あと何十回かかるく話題になるわけで、オリンピックは盛り上がり続けるわけで、世界中で日本人とも韓国人とも中国人ともアメリカ人とも出会うわけで。
どこに行こうと、だれかの国民感情と接触しないでいられる社会なんてない。

 

だから、劇中人物・植木のようでありたいし、今の自分は彼に近い気もする。


寝たいときは寝る。知らないことは知らない。

知りたいことは知ろうとする。友達になりたければなる。

今自分にとって興味のあること、相手に興味があるとしたら、それは誰にとっても正しい回答ではないけど、間違いのない、本当に起きている、意味のあることだ。


あと、「言葉が通じない」というのは全世界全世代に通じる、

人類共通のコメディなんだなと。

3か国語がいりまじって会話が通じない状況がすでにおかしい。日本語どうしだって、だいたいのことは通じてないんだから、笑える。


私たちは、理解しあおうとして、理解しあえてないけど、だからおもしろいし、何度でも会話してしまう。回答に意味がなくても、

意味のない質問の応酬に、
ただ耐え続け、色んな回答を得ることには、少しは意味があったし、これからもあるかもしれないと、やっと思えた。

 

 

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